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「平成」最後の日に柿の木坂のセラピスⅡでランチしました

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ここは 柿の木坂にあるオシドリ夫婦でやっている小さなお店です。 店内は 帆船に関する写真を飾って雰囲気のあるダイニングカフェのお店でした。

マスターに店の名をセラピスにした由来を聞いたら、模型の帆船を作ることが趣味で、たまたまあった帆船模型の名前がイギリスのセラピス号だったからだそうです。

 

マスターの作った帆船

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マスターの作った帆船模型を見せてもらいました。  中々 良く出来ていると思いませんか?

さて、本日のランチは

(赤矢印を注文)blank

今回 注文したのは オムライスのチーズ焼き 1300円のランチコースを注文しました。 ちょっと一風変わったオムライスでした。 サラダとコーヒー付きで 更にアンチョビトマト添えピザとハウスワインも追加しました。

本当は 料理の写真を撮る筈でしたが ついつい食べるのに夢中になって気づいたらピザのみが残っていました。(^o^)

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"セラピス"の名前の起源について、チョット調べてみました

イギリスのセラピス号は18世紀の軍船の様で、多分セラピスの名は、ウィキペディアの「ヘレニズム期エジプトの神」からとっているのでは無いかと推定しました。 以下は、ウィキペディアからの引用です。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/セラピス

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起源
プトレマイオス1世の治世下で、エジプト人の宗教と統治者ら(マケドニア人)の宗教を統合する努力が行われた。プトレマイオス1世の方針は、エジプトの神官がかつての外来の支配者の神を呪っていることを踏まえ(すなわち、ヒクソスによって崇拝されたセト)、両方から崇拝される神を見出すことだった。アレクサンドロス3世はアメンを考えていたが、アメンは上エジプトで信仰が篤い神で、ギリシア人の支配力が強い下エジプトではそれほどでもなかった。ギリシア人には動物の頭を持つ像はあまり人気がなかったため、ギリシア風の人間の姿をした偶像が選ばれ、アピスと同一であると宣言した。それが「アセル=ハピ (Aser-Hapi)」(すなわち、オシリス=アピス)と呼ばれ、セラピス (Serapis) となった[2]。そして、この場合のオシリスはカー(霊魂)だけの存在ではなく、完全体とされた。

 

このお店の雰囲気に合ったBGMを選んでみました

この店の料理はイタリアンがメインですので18世紀というとバロック後期”ヴェネツィア出身ビバルディ”が良いと思い 四季の春第3楽章を選びました。

blankバイオリン:フェリックス・アーヨのイムジチ合奏団の演奏によるビバルディ四季・春の第3楽章です。

このLPレコードは、歴史的ベストセラーになった1959年録音盤をハイレゾ録音した後、AACへエンコードしたものです。

 

セラピスⅡの場所

セラピスⅡの場所は、下の地図をご覧ください。
(都立大学から徒歩で5分くらいです。)

 

以上 柿の木坂のセラピスⅡの紹介でした。 都立大学へ来た時は 立ち寄ってみたらいかがでしょう。

 

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